「as:9-nine- ARTEISIA」というタイトルについての考察

 

 

 今回は、「as:9-nine- ARTEISIA」というタイトルについて考察したいと思います。

 これより先は、新章含む9-nine-本編及び、「as:9-nine- ARTEISIA」のネタバレを含みます。ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 まず着目したいのは、冒頭につけられた「as」です。asは多くの意味を持つ単語ですが、私は「〜のように」という訳がふさわしいのではないかと考えています。

 これについて理由を述べる前に、まずは「アルティエイシア」について触れておきます。作中において、「仕儀の反駁」に対して振られていたルビです。文脈を考えれば、否定のアーティファクトの名前であると考えられます。

 つまり、asを「〜のように」という訳で解釈した場合、「as:9-nine- ARTEISIA」は、「ナインのように理を否定する」と読み替えることが可能になります。

 ナインの持っている「オーバーロード」は、枝の剪定という形で望まぬ運命の先を無かった事にすることができます。これはすなわち、「運命の否定」とも考えられます。

 もっとも否定のアーティファクトは、「オーバーロード」のように過去や未来に至るまでを観測し、自由自在に運命を変えられる訳ではありません。よって、「否定のアーティファクト」=「オーバーロードの下位互換」という解釈が成り立つはずです。

 しかしだからこそ、タイトルを読み替えた時、「ナインのように理を否定する」という意味が自然に受け入れられるのではないでしょうか。

 よって私は、タイトル冒頭につけられたasは「〜のように」と訳すのが自然だと考えました。

 


 次に、「ARTEISIA」の部分についてです。

 PV等でタイトルが読み上げられる時、音としては「アルティエイシア」と読まれています。しかし、字面を見れば「アルテイシア」と読めるはずです。「アルティエイシア」と読ませたいのであれば、「ARTIEISIA」もしくは「ARTYEISIA」と表記するのが妥当でしょう。

 ここでタイトルロゴに注目してみると、「ARTEISIA」の"T"の部分に違和感を覚えます。

 

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 結論から言うと、私はこれが"T"に"I"を重ねていることを表現していると考えました。

 すなわち、本来の表記では「ARTIEISIA」と綴って「アルティエイシア」と読ませるということです。

 では、なぜこのように"I"が隠されているのでしょうか?

 


 "I"は何かの隠喩であり、これを隠すことが作品にとって意味のあることだと考えられます。

 音での遊び、つまり言葉遊びの類ですが、"I"=「私」or「愛」と捉えることも可能ではないでしょうか。

 そもそも、作中で鍵となる人物の名はアルテシア。表記を変えれば「ARTESIA」です。つまりこれは、アルテシアを土台とした言葉遊びであり、アルテシアに二つの"I"を足すことで、否定のアーティファクト=「アルティエイシア」になると解釈できます。

 これは作中での否定のアーティファクトの成り立ちを考えれば自然とも言えます。

 否定のアーティファクトは、アルテシアが宿した魔術と自身の魂がアーティファクトに変容したものです。アーティファクトである以上、ユーザーがいなければ否定の能力も使えません。

 つまり、アルテシア単体では未完成で、ユーザーとなる誰かとそれを発動するための魂が揃って初めて、否定のアーティファクトとして能力を使用できるからです。

 


 さて、"I"を「私」とした場合、アルテシアに足される二つの"I"は、二人の「私」。つまり、二人の人物と考えられます。

 この二人の人物に当てはまる可能性として、私は三人を候補に挙げたいと思います。

 それは、テオドール、結那、そしてプレイヤー、つまりナインです。

 なぜこの三人が候補になっているかというと、否定のアーティファクト覚醒の場面及び、アズナイン最終局面で結那の死を否定する場面を思い返していただければ理解しやすいと思います。

 


 結那の死を否定する場面、否定のアーティファクトの起動には、テオドールの残存魔力と魂、そしてナインが繋いだアーティファクトに宿る結那の魂が必要でした。

 「ARTIEISIA(=否定のアーティファクト)」の起動には、「I(=テオドール)」、そして「I(=ナイン)」が繋いだ「ARTESIA(=アルテシア)」が必要だったと読み取る訳です。

 


 また、否定のアーティファクトが覚醒する場面。こちらは、結那がテオドールのためにクリスネイアを救いたいと強く願った結果の覚醒です。

 つまり、「I(=結那)」と「ARTESIA(=アルテシア)」の二人がテオドールに向ける「I(=愛)」によって、「ARTIEISIA(=否定のアーティファクト)」の覚醒が起こったと読み取ることができるのではないでしょうか。

 


 更に、"I"を「愛」と解釈したとします。すると前述した「"T"に"I"を重ねている」という文脈も、「"T(=テオドール)"に"I(=愛)"を重ねている」と読み替えることもできます。

 魂だけになってもテオドールを想い続けたアルテシアの気持ちを表現している文脈として、とても最適だと捉えられると思います。

 


 それに加えて、アルテシアと結那が治癒のアーティファクトとして能力を使用した場面についても、「愛」が絡んでいます。二人の能力初使用場面を思い返すと、どちらもテオドールを死なせないために、己の命を削って能力を使っていました。

 作中では、「好きになるってことは、自分よりも相手の方が大事なこと」という表現があります。

 これをふまえると、二人の気持ちの源は、テオドールに向けた「愛」と呼べるはずです。

 これは、最終局面でテオドールが結那の死を否定する場面についても同じことが言えるでしょう。

 つまり、「I(=愛)」を原動力として理の否定を行ったと解釈するのです。

 


 以上が、タイトルについて私が抱いている考えとなります。

 言葉遊びを持ち出した以上、こじつけと言われても反論の余地はありません。しかし、タイトルについてはずっと違和感を抱き続けていたので、何か理由を見つけたいという気持ちがあったのも事実です。

 なので、私の考察に対する指摘や新たな考えがあれば、教えていただきたいです。

 それでは。

「as:9-nine- ARTEISIA」の感想と考察

 

 

 「as:9-nine- ARTEISIA」、完走した感想なんですが、スピンオフ作品としてはかなり良い作品だったと感じました。

 ここいろから新章までの「9-nine-」が、私にとって100点満点中の120点であるならば、この「as:9-nine- ARTEISIA」は80〜90点といったところです。

 以下、ネタバレを含む感想になるので、まだプレイしていない方はご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まず、良かった点から挙げていきます。

 


 一つ目は、キャラクターが魅力的だという点です。「9-nine-」の魅力の一つといえば、ネームドのキャラクター全員を好きになる要素があることだと思っています。

 それはあのイーリスですら例外ではありません。もちろんあの魔女のやったことは許せませんし、好感度という面で見れば最低です。しかし、作品の悪役、ラスボスというキャラクター性としては、あそこまで悪に振り切っているというのは魅力的だと捉えられます。

 今作のラスボスであるヴァシレウスは、イーリスのように完全悪ではないですが、変に絆されることなく、最後まで己の信念を貫き通していたと思います。

 その道が誤っていただけで、自身が背負った家名の重さと、救えなかった妹のために戦ったのだと感じられました。

 一つの選択を誤っただけで、世界を救う聖女にも、世界を滅ぼす魔女にもなりうるというのは、本編でのソフィとイーリスの関係です。これがあるからこそ、今作でのヴァシレウスの行動にも、ある程度理解できるし、魅力があると感じました。

 


 次に良かった点は、本編キャラクターの扱いについてです。

 スピンオフや続編物の失敗する原因のほとんどが、この点にあると私は考えています。本編or前作キャラクターを不幸にしたり、解釈違いな状態で出したりするのが一番の禁忌です。

 その点、本作はそのような扱いはなかったと思います。

 無理に与一やレナを出さなかったこともそうですし、スピンオフの本筋に絡まないというのも大事なところだったと考えています。

 本編後の翔達が過ごしている日常を、翔じゃない視点から見られた。その程度の出演がスピンオフにおける本編キャラクターの扱いとしては妥当なのかなと思いました。

 


 また、ナインについても、良い理由付けがされていたと思います。

 「プレイヤー=ナイン」とし、登場人物の一人としている以上、プレイヤーが観測できるエピソードは、ナインが観測できる理由が必要です。

 その点について、「世界の眼」から座標を取得できる「羅針の偽眼」によって全て解決していたので、納得できました。

 


 最後に、「9-nine-」らしい見せ場も良かった点です。

 ユーザーが覚悟を決めた時、アーティファクトが覚醒し、真の能力が発現するという展開はやはり熱いです。スティグマが全身に広がるのも、危険を孕んでいながらもやはりかっこいいなと感じました。

 

 

 

 次に、少し気になった点を挙げていきます。

 


 まず、バトルシーンについてです。ノベルゲームという媒体である以上は仕方ないのですが、剣術を交えた本格バトルは、やはり限界があるかなと感じました。イラストやSE等で補えてはいますが、登場人物のほとんどが剣術で戦うため、剣の差し合いが続くと少しグダっている印象を受けました。

 


 次に、結那がテオドール以外の異世界人と普通に会話ができていたことの説明が無かった点です。

 テオドールについては「羅針の偽眼」に翻訳の機能が備わっているのでいいのですが、最終決戦で異世界に乗り込んだ時、ヴァシレウスやクリスネイアと普通に会話していたことの説明が無いのが気になりました。

 ヴァシレウス達がわざわざ翻訳の魔術なりアーティファクトなりを使って結那と対話する理由は無いと思うので、少し気になりました。

 一応私の考えとしては、治癒のアーティファクトに翻訳効果のおまけがあったのではないかと考えています。治癒のアーティファクトにはアルテシアの魂が宿っているので、そのユーザーである結那にも無意識的に翻訳の恩恵があったのではないでしょうか。

 


 また、春風との絡みについても一点だけ気になることがあります。

 それは、春風が人格を変えてテオドールと対話していましたが、人格の交代はそれ即ちアーティファクトの起動であり、テオドールならばそれをもって春風がユーザーであることに気付くのではないかという点です。

 はるいろの枝で、女王様の人格も春風の一面の一つとされていたので、成長次第でアーティファクト無しに人格を変えられるようになる可能性はあると思います。

 しかしそれには本作がはるいろの枝である前提が必要です。ただ、はるいろの枝ならば春風の精神的な成長が顕著なので、見知らぬ人とのコミュニケーションという、苦手なことから逃げるために人格を変えるというのは違和感があります。

 もちろん、あの場で春風がユーザーだと分かったところで、本筋に何か変化があるのかと言われれば、微々たるものでしょう。それでも、私は少し気になりました。

 


 あとは、アーティファクト使用時に詠唱をするという現象が生えてきた点です。本編では希亜を除き詠唱をしてなかったですし、希亜も別に必要な訳ではないと言っていたので、何か説明は欲しかったです。

 

 

 

 ここからは、各キャラクターに対する私の感想を述べたいと思います。

 


テオドール・ストラトス

 不器用ながらも大切な人のために全てを懸けられる所は、翔を想起させられました。加えて、食事に対する向き合い方の変化が、そのままテオドールの成長として反映されていて良かったです。想い人を二度も目の前で死なせているなど、なにかとお辛いので、末永く幸せになって欲しい。

 


如月結那

 悠木碧さんの声帯から発されるボクっ娘は骨身に沁みます。喋り方も性格も外見もとにかく可愛い。ただ、心臓に爆弾抱えた子の酔っ払いイベントはハラハラ三割、「沙月ちゃんナイス!」な気持ち七割ってとこです。あと水着はどエロい。

 


クリスネイア・ストラトス

 この世界の妹は、みんなブラコンの覚悟ガンギマリなんですか? 兄を救うために奔走するのも、どんな非道なことをしても養父を見捨てられないのも健気すぎて好き。お義姉さんと仲良くして欲しいし、それを見たい。

 


ヴァシレウス・ラリウス

 やったことは許せないし、方法も何もかも間違っているけれど、最後まで目的のために貫き通した所は好きです。最後の最後で、家名と同じくらい妹のことを想っていたのだろうなという本音が漏れていたのがなんだかやるせない。

 


アルテシア・ラリウス

 悠木碧さんの声帯から——以下略。魂だけになっても愛した人のことを想い続けているのは尊い。愛した人の幸せのために、自分のようで自分じゃない結那にテオドールを託せるのは生半可な精神性をしていないと思います。

 


九條都

 ナインボールの背景絵が出た時からほぼ確実に出るだろうなと思っていました。また会えて嬉しい。相変わらずこんなメイドさんが家にいて欲しい。

 


新海天

 相変わらずのブラコンっぷりでなによりです。翔との夫婦漫才ならぬ兄妹漫才が見たかったですが、こればかりは仕方ない。

 


香坂春風

 「誰か人に聞くか」からのクソデカリボン後ろ姿は嬉しい反面、多分その人適任じゃないぞという気持ちもありました。デスカレー先輩遭遇イベントからの、カレー作りイベントは狙ってますよね?

 


結城希亜

 また木陰から登場ですか。猫みたいで可愛いよ。ろるうに何某を見て抜刀術に憧れるのはとてもよく分かる。

 


成瀬沙月

 酔っ払いイベントの提供、ありがとうございます。

 


高峰蓮夜

 やっぱりこの人、いいキャラクターしてます。味方として登場した時の安心感と面白さはピカイチですね。それはそうと、鉄製のデッキブラシがひしゃげる程の装甲を持つ相手を、素手で戦闘不能にできるのは何?

 


新海翔

 多分、探知のアーティファクトでテオドールがユーザーだと分かったから声をかけてますよね? レプリカの偽眼とはいえ、世界の眼に類するアーティファクトユーザーとして何か感じるものもあったのかなと思います。あと、久しぶりに相棒って呼ばれて嬉しかった。

 


ソフィーティア

 幻体の姿じゃないソフィが登場人物達と話してる違和感はあるものの、こちらもまたナインに語りかけてくれて嬉しかったです。ただ、呼びかけという意図でない「はぁい」は無理矢理すぎるのでは?

 

 

 

 ここからは、感想というよりは考察を交えた私の考えを述べたいと思います。

 


 まず、本作の時系列ですが、アーティファクト流出から四ヶ月程度という情報と、学生の夏休みという情報から八月のどこかでしょう。よって、翔たちが戦ったどの枝からも、三ヶ月程度は経っていることになります。

 つまり、本作中の翔たちはアーティファクト回収の真っ最中ということです。だからこそ、時系列的に翔は探知のアーティファクトを使えるので、テオドールとの接触はそれに起因するのではないかと考えられます。

 


 次に気になるのは、どの枝の話なのかという点です。

 まず、蓮夜が生きていることから、ここいろの線は消えます。

 次に、希亜の態度がある程度軟化しており、コスプレにも言及していたので、新章やそらいろの枝でもないでしょう。

 また前述した通り、はるいろの春風にしては人格交代に違和感があるので、はるいろの枝でもないでしょう。

 よって消去法的に考え、この枝はゆきいろの枝だと私は考えています。

 ヒロインの誰かが翔の名前を呼んでくれれば、もっと確実に絞り込めたんですが、これは仕方ないですね。

 


 転移についても考察します。

 世界間を人間そのままが移動するという技術に再現性があってしまうと、なぜイーリスがそれをしなかったのかという事になってしまうので、これはかなり重要な点です。

 おそらく、世界間を転移するには魔術的な術式を刻むしかなかったのでしょう。作中では、魔術で名を馳せた貴族の養子であるクリスネイアが完成させた技術です。つまりそこには、ある程度魔術の素養が必要なのではないでしょうか。

 そうであれば、魔術の使えないイーリスには決して作りえない技術ということになります。

 また、転移の技術を汎用化させ、誰でも世界を渡れるようになるかという点ですが、ソフィの性格からしてそれはないでしょう。むしろアーティファクトの流出を防ぐために世界を閉じようとしていたくらいなので、転移の技術も機密情報として封印されるのではないでしょうか。

 よって、テオドールと結那は最終的にどちらかの世界で永住することを決めなければならないかもしれません。もちろん、ヴァシレウスを止めた功績等でお目こぼしされる可能性もありますが。

 


 「羅針の偽眼」についてです。

 ナインが観測するには、世界の眼を通した座標が必要です。逆に言えば、座標さえ分かれば同一存在でなくても観測、干渉できる道理です。

 これは、ゆきいろの最終決戦でも同じことをしています。世界の眼のユーザーとなった沙月を通して、ソフィと話した時のことですね。

 よって、本作最終局面において、アルテシアがナインに干渉できた理由についてですが、アルテシアの魂である「治癒」もとい「否定」のアーティファクトがテオドールの体内に取り込まれ、同じく体内にある「羅針の偽眼」とかなり密接に接触したことが原因ではないかと考えられます。

 加えて、「否定」のアーティファクトが、オーバーロードと近い性質の物、言ってしまえば下位互換であるというのも要因かもしれません。

 つまり、「羅針の偽眼」で位置を定め、「オーバーロード」で観測。その「羅針の偽眼」に限りなく近い場所にあったアルテシアの魂と記憶も同様に観測可能。そこから、アルテシアの求めに応じて、「オーバーロード」でテオドールに記憶のインストールを行う。

 以上のプロセスが踏まれていたのだと考えられます。

 

 

 

 ひとまずこれで感想及び考察を終わりたいと思います。何か思いついたら追記するかもしれません。

9-nine- 翔が最終決戦に5月17日を選んだ理由について

 

 

 

 今回、私が考察する内容は、翔がゆきいろでの最終決戦に、5月17日を選んだ理由についてです。

 ネタバレを多分に含みますので、未プレイの方は、今すぐプレイしてきやがれくださいませ。

 

 

 

 


☆はじめに

 


 最初に、翔が最終決戦で最低限必要だと考えていた条件についてまとめます。

 あくまで翔の事前想定なので、結果的にこれも必要だったなといったものについては無視します。また、世界の眼の欠片や、オーバーロードといった、翔に標準装備であるものも除外しています。

 


①ジ・オーダー

 これは、イーリスを確実に倒すために必要不可欠なものです。イーリスはダミーの魂を介しているので、ジ・オーダーでなければ、イーリスを確実に仕留めることができません。

 


②幻体のアーティファクト

 幻体は戦力としてだけでなく、ジ・オーダーを揃えるためにも必要です。最終決戦の枝では、ジ・オーダーのみ与一(イーリス)が奪っており、翔が契約した枝も存在しません。よって、別の枝から希亜に同調してもらわなければならず、その器として幻体が必要だからです。

 


③天のアーティファクト

 与一(イーリス)は結界を張れ、結界がある状態ではジ・オーダーを含む全ての攻撃を防がれてしまいます。そのため、それを消せる天のアーティファクトも必要です。

 


④与一を殺し続けることのできる戦力

 与一を追い詰めなければイーリスが出てこないので、与一を追い詰め、イーリスを頼らせる必要があります。与一がオーバーロードでやり直せる以上、その手段としては、翔がやられたように、与一を殺し続けるしかないはずです。

 

 

 

 以上の四つが、最終決戦に臨むにあたり、翔が想定していた必要最低限の条件だと考えられます。

 魔眼についてですが、たとえ相殺できず石化したとしても、オーバーロードで巻き戻せるので、与一からすれば翔に対して有効打になりません。よって翔の視点からしても、あれば事が多少スムーズに運ぶだけで、必須ではないと判断できると考えられます。

 


 では、一つずつ、どのタイミングで入手できていたかを考えていきましょう。

 

 

 

 まず③ですが、これは与一が嫌がらせに置いていっているので、4月17日(もしくは日付をまたいで18日)に契約しています。

 

 ④の具体的な内容ですが、上で挙げたものを除けば、


・都のアーティファクト

→血液を奪い失血死、攻撃を奪って跳ね返すなど、充分な戦闘能力あり

・炎のアーティファクト

→翔が最も使い慣れているであろう攻撃系のアーティファクト。攻撃の他にも、炎の壁で防御も可能なので、これも充分な戦闘能力あり

・エデン

→都合のいい奇跡を起こせるだけでなく、上記全てのアーティファクトを強化した上で、相手にデバフを与えられるので、こちらも充分に戦闘能力あり


以上の三つで事足りると考えられます。実際、与一がイーリスとの同調を強めるまでは、これらの武器だけで与一を圧倒していました。

 炎のアーティファクトは、はるいろのイーリス戦前に契約しているので、5月4日(契約場面の描写がないので、もしかしたらもう少し前)には入手しています。都のアーティファクトとエデンは、天のアーティファクト同様に置き土産されているので同タイミングで入手済みです。

 

 続いて②は、ゆきいろ序盤の4月18日に、魔眼のユーザー対策として、ソフィから受け取っています。

 

 最後に①ですが、これは希亜を眷属化したタイミングで条件をクリアしたとみなすことができます。眷属化の条件は、相手に自身の体液を摂取させることなので、希亜との初体験で満たしています。これが、4月30日のことですね。

 

 

 

☆世界の眼の欠片について

 


 翔は、「世界の眼の欠片」を使い別の枝の自分と同調することで、その枝で手に入れているアーティファクトを、未入手の枝でも使用できます。

 ただし、世界の眼は過去か現在しか観測できません。ナインのオーバーロードにより、翔は未来の記憶を持っていますが、上述の能力を使うためには、別の枝で入手した日付を、この枝でも待たなければならないはずです。

 よって、上記四つの条件を揃えるためには、最も時期の遅い炎のアーティファクトと契約したであろう、5月4日を待たなければいけないと考えられます。

 

 

 

☆問題提起

 


 以上のことをふまえると、翔が最終決戦に挑む準備が整ったタイミングは、5月4日が最有力ということになります。

 ここで疑問が発生します。

 それは、実際に翔が最終決戦に選んだのは、5月17日ということです。

 なぜ翔は17日という日付を選んだのでしょうか?

 以下では、それについて考えていきたいと思います。

 

 

 

☆皆と会いたいから

 


 翔は絶望の中、ナインの存在と、世界の眼の欠片の能力に気付いています。どのタイミングで気付いたかは分かりませんが、4月29日の段階で、「もう少しだ」という台詞があるため、この段階では既に最終決戦を見据えていたと考えられます。

 よって、最短の5月4日を選ぶという考えに矛盾はありません。

 


 ただし、これはあくまで、最終決戦に挑むための戦力を理性的に予測した合理的な判断の下に成立する日時です。

 この時の翔の精神状態はかなり悪く、心は折れていませんが、おそらく壊れてはいます。そんな状態の翔が、最終決戦に立ち向かうためには、精神的な支えが必要なのではないでしょうか。

 この翔には、ナインが都,天,春風への恋心や付き合ったという記憶をインストールしていません。なので、希亜だけでも充分支えになると考えることも可能です。

 しかし、天は血を分けた(家族愛的な意味で)大切な妹であり、都へはアーティファクト関連の事件前から下心を抱いており、春風はおっぱいがデカい訳です。

 恋人は希亜ですが、皆にもそばに居て欲しいと願う気持ちが、翔の中にあったと考えることに違和感はないと思われます。

 

 

 

☆ヒロインへの恋心

 


 ナインは、ゆきいろの翔にこれまでのほぼ全ての記憶をインストールしていますが、その中にある各ヒロインへの恋心及び付き合った記憶、行為に及んだ記憶はインストールしていません。

 私としては、このインストールしなかった部分が、かなり曖昧だと認識しています。

 当然、告白やイチャイチャしている記憶、恋人の営みをしている記憶はインストールされていないでしょう。

 しかし、欠落した部分の前後から、ある程度の想像をすることはできたはずです。それに加え、翔とナインが同調した4月17日以前は、オーバーロードをもってしても届かない領域です。よって、4月17日以前のインストールする記憶は、取捨選択できないはずです。

 つまり、それ以前に抱いていた感情や記憶は、ゆきいろの翔も持っていたと考えられます。


 都の場合は、アーティファクト関連の事件前から、彼女に対して下心を抱いていました。ゆきいろで希亜から戦う動機を聞かれた時にも、「九條への下心」を挙げているので、間違いないと思われます。


 天の場合、翔は見なかったことにして、記憶に蓋をしているようですが、天の隠し撮りアルバムを見てしまった事実があります。また、そらいろで天が普段以上にベタベタしたり甘えてきたりした場面は、恋心と認識していなかった段階なので、インストールされている可能性は高いです。


 春風の場合、エデンの影響下で無意識のうちに春風を押し倒した場面は、エデンの能力が判明することに繋がるので、インストールしない訳にはいかないはずです。


 また、ゆきいろで希亜と付き合えたのは、オーバーロードで記憶ありきの上で出会いをやり直した結果です。ゆきいろ以外の希亜の態度を鑑みれば、この枝をイレギュラーだと考えるのも不思議はありません。

 


 これらのことから、ナインがインストールしなかった記憶を抜きにしても、翔が他のヒロインと眷属化まで果たしたことに思い当たる可能性は高いと考えられます。

 

 

 

☆眷属化のタイミング

 


 上述のことより、最終決戦での翔は、可能ならばヒロイン全員を喚びたいと考えていたと仮定します。

 これは、「せめて希亜だけでも」という台詞から、「可能ならば皆も」というニュアンスが汲み取れることからも、確度の高い仮定でしょう。

 


 ただし、そのための眷属化には情事を踏まなければならず、その記憶はインストールされていません。よって、具体的な眷属化のタイミングを、翔は知ることができなかったはずです。

 そのため翔は、持ちうる記憶と感情、その全てを使って予想を立て、一番可能性の高いタイミングを待ったのではないでしょうか。

 


 具体的に言えば、希亜以外の三人の中で、最も眷属化されている可能性の低い天に関して、「この日であればもしかしたら……」というタイミングです。

 天が妹である以上、眷属化の条件を満たす可能性は低いと考えるのが自然です。しかし、上述したように、ナインがインストールしなかった記憶は曖昧かつ限定的だと思われるので、天の枝であれば可能性があると考えたとしても不思議ではないのではないでしょうか。

 


 では、なぜ5月17日なのでしょうか?

 


 私は、5月16日の天とのやり取りが、翔にとって大きな意味を持っていたと考えています。

 そらいろの翔は、ゴーストが幻体である事を知らず、殺してしまったことへの罪悪感で眠るのも難儀するほど精神的に参っていました。

 5月16日、天はそんな翔に対して、黙って話を聞き、「支えになりたい」と伝えています。

 

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 その後の翔の反応からしても、この枝の翔にとって、これがとても大きな意味を持っていたでしょう。

 よって、天と何かを致した可能性があるとすれば、このタイミングが最も可能性が高いという発想に至ったと考えられます。

 救いを求めて手繰った記憶の中で、救われたと感じた場面に望みを賭けるのは、自然な心の動きなのではないでしょうか。

 

 

 

☆終わりに

 


 以上のことより、翔が5月17日を最終決戦に選んだのは、戦力を整えた上で、都,天,春風,希亜の四人とまた会えることを願ってのものだったと考えられます。

 

 

 

Opera of the wastelandについて

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Opera of the wasteland」は、ガルパイベント「Neo Fantasy Online-旅立ち-」にて追加された楽曲だ。

このイベント自体は2018年1月22日の事。「軌跡」の発売を何とか早めたかったのだろうが、CD発売のスピードもかなり速く、2018年3月21日の事である。

それにも関わらず、この楽曲はRoseliaのライブで1度も披露されていない。

Roseliaの新曲演奏ペースはかなり速く、1度も披露されていないのは、「"UNIONS" Road」とこの曲のみである。

「"UNIONS" Road」は発売から1年も経っておらず、コロナ禍もあってライブの機会自体が少なかったのが理由だろう。

では、「Opera of the wasteland」が披露されなかったのは何故だろう。

中島由貴さんや志崎樺音さんが、いわゆる既存楽曲の習得に時間が必要だったというのもあるだろう。

しかし、僕はそこに3Dではなく2DRoseliaのストーリーを絡めた理由を提示したい。

 

 

キャラ曲

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まず、これは常識に近いかもしれないが、各キャラクターには「キャラ曲」と呼ばれるものがある。

氷川紗夜で言うところの「Determination Symphony」。今井リサで言うところの「陽だまりロードナイト」や「約束」。

イベントストーリーにおいて、メインとなったキャラとその時のイベントの曲とのリンク性から生み出される、曲に対しての1つの解釈の仕方である。

このキャラ曲という見方で「Opera of the wasteland」を見てみよう。この時のイベントはRoseliaの箱イベだが、その中でもメインとなったのは白金燐子と宇田川あこである。

この2人に共通した要素。宇田川あこの方がそれは強いだろうが、「晦冥の導き手」が最も相応しいだろう。

Opera of the wasteland」は、晦冥の導き手の曲なのである。

 

 

曲の持つ物語

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さて、「Opera of the wasteland」。英語のタイトルや歌詞を詳しく分析するには、日本語に訳してみるのが必須である。


「荒れ地の歌劇」


これがこの曲のタイトルである。

「歌劇」と言えば、最近ブシローダーと呼ばれ始めた皆さんには馴染み深い単語ではないだろうか?

「少女☆歌劇レヴュースタァライト」をイメージしてもらえれば分かりやすいが、「一部、あるいは全てを歌でのみ表現した舞台」の事である。

そう。この曲はある物語を表現しているのだ。

 


「そんなん分かっとるわボケェ!……ほいで、それがどないしたんや?」

 


そう思う方も多いだろう。

もちろんその通りだ。そもそも僕が前提として語ったキャラ曲という概念は、曲が物語を秘めている必要があるのだから。

しかし、曲が物語を秘めているのが当然だと思った方は、「Opera of the wasteland」にどのような物語を思っただろうか?

きっと、Roseliaの5人が「Neo Fantasy Online」、通称"NFO"をプレイした物語。初めて訪れるゲームの世界を、湊友希那がその感覚を持って描写した曲。

このように思った事だろう。

僕もそうだった。

そう、"だった"のである。

Opera of the wasteland」に、先に示したキャラ曲と晦冥の導き手という概念を合わせると、見える物語は変化してくる。

 

 

あこの語彙力

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見えてくる物語のためにもう1つ必要な要素がある。それは、ガルパイベント「貫く闇、青薔薇の誇り」である。

ストーリーの概略は、宇田川あこが自身の思う「カッコイイ」、すなわちRoseliaの魅力を他人に紹介しようと奮闘するというものだ。

この時の宇田川あこは、傍に白金燐子がいないため、語彙力の低さゆえに上手く説明できていなかった。

青葉モカの助力を得て出来上がったものでも、世界観がかなり独特となっており、かなり読解の難しい内容となった。

このストーリーで僕が注目したいのは、「宇田川あこは1人でRoseliaの説明をする時、語彙力の無さと厨二病が作用して、まるでゲームや異世界の描写をしているようになる」という要素だ。

 

 

曲の再生産

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結論を示す前に、少し話は脱線するが、僕の楽曲に対する見方を説明させて欲しい。

そもそもBanG Dream!というコンテンツの下に作られた曲は(もちろん他の様々な曲もそうかもしれないが)、キャラ曲という概念が示す通り、1つの物語や意味を持つ。

Roseliaの「BRAVE JEWEL」が、アニメ2期で揺らいだPoppin'Partyへのエールソングとなったように。

Poppin'Partyの「Step×Step!」が、アニメ3期で朝日六花の背中を押したように。

しかし、ここからが本質だが、それらの楽曲の意味は変化する余地がある。スタァライト風に言えば、再生産される可能性を秘めている。

僕が以前の記事に書いたように、「夢を撃ち抜く瞬間に」が、3バンドでの演奏でそれぞれに属性を与えたように。

キラキラだとか夢だとか〜Sing Girls〜」が、アニメ1期のエンディングからアニメ2期で、朝日六花へ贈られたように。

その曲が演奏される状況。

その曲を演奏するメンバー。

そこに至るまでのストーリー。

それらを加味すると、全く違う意味や物語を持つようになる。

これが僕の、楽曲に対する見方である。

 

 

なぜ演奏されないのか?

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さて、ここまで読めば鋭い人は、僕の言わんとしている事が分かっているかもしれない。

手っ取り早く結論を言おう。

 


Opera of the wasteland」は、RoseliaがFWFに立った後に、バラバラになり、その姿が誰からも忘れ去られた時に、宇田川あこの手によって思い出させるための曲ではないだろうか。

 


そもそも宇田川あこに与えられた要素である「晦冥の導き手」は、バンドストーリー2章で、Roseliaを見失うメンバーの中で唯一、その本質を見失わなかったがゆえの要素なのだ。

「ノーブル・ローズ-歌、至りて-」にて、LOUDERを封印する際にも、必要になれば思い出させる役目を背負っていたのも宇田川あこだ。

つまり、「Opera of the wasteland」のゲームや異世界を感じさせる歌詞は、曲の再生産をふまえると、語彙力の足りない宇田川あこらしい歌詞になるのだ。

白金燐子との約束。その際にも「万一の時には蘇生魔法をかける」という、ゲームを意識した言葉が使われている。

そしてそこから読み取れるのは、あくまで白金燐子はヒーラー。前線で剣を振るうのは宇田川あこ、という役割だ。

もう1つ。NFO内での宇田川あこのジョブは、ネクロマンサー。死霊使いとはよく言ったもので、死霊を使うという事は、「失われた存在を呼び戻す」事に他ならない。

 

だからこそ、「Opera of the wasteland」はRoseliaが誰からも忘れられるような危機に陥った時にこそ演奏される曲ではないだろうか。

 

これが最初の疑問の僕なりの答えだ。

ゲーム風に言うならば、「とっておきの切り札」、「超必殺技級の隠し球」といった感じだろうか。

湊友希那が青薔薇を使った理由

僕が考えるRoseliaの湊友希那の作詞のルールは、自明の理、言うまでもない事柄は歌詞にしないという事だ。

 

(この根拠については、以前書いた「無敵で最高で最強の歌」を参考にしてほしい)

 

つまり、このルールの下で作詞される曲に、青薔薇という単語が入ることには違和感が生まれる事になる。

 

Break your desireにおいて、この違和感が生じた理由は何だろう?

 


R

この事について考える前に、もう1つの例外について考える。

 

そう、Rの事だ。

 

Rの歌詞には、青薔薇とまではいかないまでも、Roseや薔薇という単語が使われている。

湊友希那の作詞ルールからすると、これも少々違和感がある。

 

では、なぜ湊友希那はRに薔薇という単語を使ったのだろう?

 

RはRoseliaの楽曲の中で唯一、ストーリーも存在せず、かといってOPやEDになった曲でもない。

 

だが、このRは3DRoseliaにとって大きな意味を持つ。

 

そもそもこの曲の演奏。音楽にそこまで詳しい訳ではないが、ベースメインで始まり、キーボードの音で終わるという構成のはずだ。

 

ベースで始まり、キーボードで終わる。

 

Rが初披露されたのは、ファンミーティングのライブパートの時だ。

ではこのライブの持つ意味とは?

 

Roseliaのベース、中島由貴さんの最初のライブであり、Roseliaのキーボード、明坂聡美さんの最後のライブ。

 

ベースの始まりとキーボードの終わり。

 

この曲は、湊友希那から3DRoseliaへのメッセージと捉えられる。

 

遠藤ゆりかさんと明坂聡美さんは、それぞれ対極に位置する解釈を残している。

 

遠藤さんは、自分はいつも中島さんの隣でベースを弾いている気持ちでと。

明坂さんは、自分を含めてRoseliaとは言わないで欲しいと。

 

異なる2つの解釈は、Roseliaの形そのものを揺らがす程の差異となったはずだ。

だからこそVireにて、晦冥の導き手たる宇田川あこである櫻川さんが、1つの道へと導いたはずなのだから。

 


2つの特徴

上記の事を念頭に置くと、湊友希那が薔薇という歌詞を使う時の特徴が見えてくる。

 


Roseliaが根底から揺らぐ時

・薔薇を誇張する必要がある時

 


Rの時はこの両方が当てはまっただろう。

ではもう1つの特異、Break your desireはどうなのだろう。

 

1つ目の可能性から。

Roseliaが根底から揺らいでいただろうか?

 

答えはNOだ。

 

総選挙のタイミングは、FWFの直後。

ましてや宇田川あこが晦冥の導き手という自覚を持ち、Roseliaの大切さを痛感した湊友希那がいる状況下で、Roseliaが揺らぐ事は考えずらい。

 

ならばもう1つの可能性。

 

薔薇を誇張する必要がある時。

 

これは検討の価値がある。

これを考える上で、もっとガルパライフ第212話「伝わる情熱」がとても参考になる。

 

このガルパラ内で使われる、"花咲かロゼリア"という概念。

Roseliaに憧れてバンドを始めた人達がいたようだ。これが総選挙のテーマともなった対バンの相手だろう。

 

注目したいのは今井リサの言葉。

 

「アタシ達は通ってきた道だけじゃなくてその周りにも花を咲かせて来てたんだね」

 

つまり、この時の対バン相手の足元には花が咲いていたのだ。

 


打ち砕く望み

少し話題を変えて、Break your desireというタイトルについて。

意訳すると、「あなたの望みを打ち砕く」となる。

 

この、打ち砕く望みとは何だろう?

 

Roseliaと対バンをしたいという望みだろうか?

 

違うだろう。

 

湊友希那が見るのは、対バンをしたいという意志ではなく、そこに存在する覚悟なのだ。だからこそ湊友希那は対バン相手にこう問う。

「すべてを賭ける覚悟はある?」と。

 

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重要なのは、対バン相手はRoseliaに憧れてバンドを始めた人達だという事だ。

憧れてバンドを始めたならば、こう思うのではないだろうか?

 

Roseliaのようなライブがしたい。」

 

アニメ2nd season第2話「黒き咆哮」にて、Poppin'Partyですらそう思ったのだ。初期衝動がRoseliaな人物ならば、そう考える事に違和感はない。

 


湊友希那が砕きたいのは、この考えではないだろうか?

 

模倣ではなく、オリジナル。

 

自身が父の歌を初期衝動とし、しかしその形は模倣ではないように。Roseliaという自分達だけの道を見つけた湊友希那。

そんな彼女だからこそ、自分達を模倣したライブをしたいという"望み"を打ち砕くのではなかろうか。

 


伝える想い

最初の話題に戻ってみよう。

なぜ湊友希那は、Break your desireに青薔薇という歌詞を使ったのだろう?

 


・薔薇を誇張したかった。

・対バン相手の足元には花が咲いていた。

・模倣ではないライブを期待する。

 


この3点を含めて考えると、Break your desireは、そのタイトルに反して、湊友希那なりのエールソングではないだろうか。

 

歌詞の中で誇張された青薔薇は、Roseliaを指すのではなく、対バン相手の足元に咲いた花のこと。

 

今井リサに語ったように、足元に咲いた薔薇の道を行く人には、その人にしか見えない景色がある。

 

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これに気付けない人物へのヒントとして、青薔薇を誇張する必要があった。

 

こう考えれば、Break your desireに青薔薇という歌詞が使われた理由も納得がいくのではないだろうか。

涸れ井戸のScope

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水があれば井戸は覗き込む物である。

それをscopeとして使うならば、そこに反射する空を見ることになるだろう。

一方で、涸れ井戸をscopeとして使うのならば、井戸の底に立つ必要がある。

井戸の底に立った経験はないが、おそらく四角形に切り取られた空が見える事になる。

 

ここで大前提として、涸れ井戸のScopeという歌詞が使われているHello Wink!について。ハロウィンの時に作られた曲なのだから、その時間帯は夜と推測される。

 

 

夜に空を見上げれば何があるか?

 

言うまでもなく星空だ。

 

 

この段階で星空を見上げる存在とは?

 

Poppin'Partyは学年が上がり、後輩を持つことで、星を追うだけの存在ではなくなってきている。

それは無意識なのかもしれないが、かつて戸山香澄がGlitter*Greenを見た時のように、誰かの星空になってきている。

 

 

ではHello Wink!におけるその存在とは?

 

イベントストーリー、Poppin'ハロウィンパレードにて、自身の所属するバンドが実装すらされていないにも関わらず、登場した人物がいた。

 

幸いにもハロウィンなので、日付けが特定できる。朝日六花がLOCKになったのは、この日よりも後の話だ。

 

 

井戸の話に戻ろう。

前述の通り、井戸の中に入ったことはないが、井戸の横幅なんてたかが知れている。

それこそ、"立ちすくんで動けなくなる"程に狭いだろう。

何かと共通するところが多い戸山香澄と朝日六花。

 

涸れ井戸の中にいるのは誰なのだろう?

 

 


ここで古典的な知識を1つ。

"掛詞"と呼ばれるものがある。

和歌の修辞技巧の1つで、同音意義を利用し、1つの単語に複数の意味を含ませる技法である。

これを使う上で重要なのは、この修辞技巧が使われた場合、どちらの意味も含めて現代語訳しなければならない。

 

 

もう1つ、今度は英単語の知識。
英語の固有名詞として、カレイドスコープというものがある。日本語訳すると、"絶えず変化するもの"となる。

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"涸れ井戸のScope"と"カレイドスコープ"。少々こじつけ感は否めないところではあるが、掛詞として考えてみる。

 


最初に述べた通り、井戸の底から星空を見上げる存在については、戸山香澄以外にも当てはめることができる。

 

そして"絶えず変化するもの"。

 

この2つを掛け合わせた意味をとると、"見上げる星空も見上げる人物も、絶えず変化している"というニュアンスが汲み取れる。

 


見上げる存在の変化。

 

SPACEでのGlitter*Greenのライブに、戸山香澄は自身の求めた星の鼓動を見出した(アニメBanG Dream!第1話「出会っちゃった」より)。

 

一方で、SPACEでのラストライブを見た朝日六花も、そこに星空を見出した(RAiSe!EP01ラストライブより)。

 


そして、見上げる星空も変化し続ける。

見上げるだけだった戸山香澄が、誰かに星空を見せたように。

朝日六花や倉田ましろのように、星になれる可能性を秘めた人物が現れた事も、その根拠となるだろうか。

 


イニシャルで示された、日常と非日常の混ざり合い。それはさながら六花とLOCKを隔てる壁を示すようで。

 

そして、Hello Wink!の持つ非日常の可能性。

これらを含めると、Hello Wink!はStep×Step!への伏線ともとれるのではないだろうか。

無敵で最高で最強の歌

Yes!BanG_Dream!の歌詞に登場する歌の肩書きである。

今回、何の話をしたいかというと、Yes!BanG_Dream!とその対となる曲、"夢を撃ち抜く瞬間に"の関連性である。

 

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☆対となる2曲

2曲の関連性を示す前に、この2曲が対となると考える根拠を示したいと思う。

根拠は大きく分けて2つある。それぞれ細かく以下に示す。

 


・歌詞の同意性

2曲の歌詞の中には、全く同じものであったり、意味としては殆ど同じものが見られる。

歌詞の一例を下で示す。


"夢を撃ち抜く瞬間にキミは何を思うの"

〜「夢を撃ち抜く瞬間に」〜

これは問いかけだが、夢を撃ち抜く瞬間の心情を問うのならば、質問者もそのそばにいる可能性が高い。

 

"今、夢を撃ち抜く瞬間にドキドキときめくキミを見てる"

〜「Yes!BanG_Dream!」〜

一方で、Yes!BanG_Dream!でも、夢を撃ち抜く瞬間のキミのそばにいる可能性の高い歌詞が存在する。


更に、タイトルにも同じ事が言える。

"Yes!BanG_Dream!"。日本語訳してみると、"夢を撃ち抜け!"となる。

これはコンテンツ自体のタイトルに帰属している。

 

一方でこちらは言うまでもないが、"夢を撃ち抜く瞬間に"も、夢を撃ち抜くという単語がある点で、BanG Dream!に帰属している。


歌詞に注目してみると、他にも発見できるが、今回示すのはこの2例に留める。

このように、歌詞や果てにはタイトルまで、同意性を持つものが多い。

これが、対となると考える根拠の1つである。

 


・BanG_Dream!の名のもとに

小説版のストーリー、と言えばご存知だろうか?これはここで解説しないので、知らない方は読んでから再度こちらを訪れていただく事を推奨する。

 

小説版のストーリーでは、Yes!BanG_Dream!はPoppin'Partyのメンバーを繋いだ歌だ。

それぞれがそれぞれにこの歌と出会い、最後に戸山香澄によって完成された。

 

一方で、アニメ3期の最終話にて披露された"夢を撃ち抜く瞬間に"。ストーリー上では、BanG Dream!Girls Band Challengeの非公式テーマソングとして作られる。

 

3バンドでのステージ。まさしく3期での主要メンバーを繋いだと言える。

そしてこちらも同様に、湊友希那、チュチュの2人に直談判に向かった、戸山香澄達によって完成されたといえる。

 


以上2つの根拠より、Yes!BanG_Dream!と"夢を撃ち抜く瞬間に"の2曲は、対となる曲であると言える。

 


☆歌の属性

上で2曲が対となる事を示したいと訳だが、最初に記した通り、その関連性を示したい。

 

具体的には、歌に付与された属性の話である。

 

無敵、最高、最強。Yes!BanG_Dream!には、この3つが歌に付与されている。

しかし、"夢を撃ち抜く瞬間に"では、"無敵"以外の2つは消えてしまっている。

 

先に示した通り、対となり共通点も多い楽曲同士でのこの差異。ここに注目したいと思う。

 


☆湊友希那の関わり

"夢を撃ち抜く瞬間に"は、ポピパが作った曲だが、その最終的な制作過程には、湊友希那も携わっている。

つまり、歌詞には戸山香澄のルールだけでなく、湊友希那のルールも少なからず使われていると考えられる。

 

では、湊友希那の歌詞。そのルールとはどのようなものだろうか?

 

その片鱗はガルパイベント、いつか届けアタシの詩、ノーブル・ローズ-花々を連れて-にて見る事ができる。

このイベントでは、どちらも今井リサが作詞にチャレンジしている。

しかし、Rose-lisa及びノーブル・ローズにて最初に作られた曲は、どちらも湊友希那は歌えないと言っている。

 

ではこの2つに共通し、湊友希那が今までRoseliaとして書いた歌詞と違う点は何だろうか?

今井リサ作詞の2曲は1フレーズしか登場していないが、それは容易に見つかった。

 


"月の光かすかに照らす、青い薔薇の物語"

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"青薔薇 咲き誇る庭園"

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湊友希那が過去にRoseliaとして作詞した楽曲の中に、"青薔薇"という単語はただの1度も登場していない。

 

おそらくこれが、湊友希那が今井リサの2曲を歌えない理由の1つと思われる。

その証拠に、ノーブル・ローズで今井リサが完成させた"約束"には、青薔薇という単語が存在しない。

 

ここからうかがえる湊友希那の作詞におけるルール。自明の理であり、言うまでもなく、伝えるまでもない事柄は、歌詞に書かないという事である。

青薔薇という単語は、Roseliaとしてステージで演奏する以上、わざわざ歌詞にしてまで言う必要がないのである。

 

以上の事を湊友希那のルールとすると、"夢を撃ち抜く瞬間に"で最高、最強の単語が消えたのは、この2つの属性は目に見えて明らかになったからだと考えられる。

 


☆最高と最強

では、2つの属性を背負った目に見えて分かる存在とは何だろうか。

 

Yes!BanG_Dream!が完成した時には無かった要素。

 

考えられる答えとは、Roselia、RAISE A SUILENの2バンドである。

 

この2バンドが、最高、最強の属性を背負っていたと思われる。

 

どちらがどちらだろう?

 

個人的な考えになるが、最高がRoselia。最強がRASだと思う。

 

Roseliaが最高と考える理由だが、彼女達が目指す先は頂点。そして、FWFを超えた先にある、更なる高みである。

頂点とは、最も高い場所と解釈する事もできる。ともすれば、最高という属性がRoseliaに付与されていてもおかしくはないだろう。

 

ならば残る最強はRASに付与される事になる。理由は単なる消去法ではない。

チュチュのセリフ、

「私の最ッ強の音楽で、大ガールズバンド時代を終わらせる!」

から、チュチュ自身も自分達の事を最強と自覚していると思われる。

 

また、Takin' my heartの歌詞、"虚勢を張るおまじない"から分かる、表面上の強さを見せているチュチュ。だからこそ高みではなく、強さを表す属性を付与されたと考えられる。

 

更に、あくまで単語の消失による属性の付与は、湊友希那のルールである。

そのため、最強をRASに当てはめるにあたって、それは自称ではなく、湊友希那のRASへの印象という事になる。

ただの強さだけでは高みに立てない。

湊友希那が、ガルパのバンドストーリー2章で感じた事である。

だからこそ、RASを表す属性として最高ではなく最強が選ばれたのではないだろうか。

 


☆無敵の歌

最高、最強の2つが消えた理由はご理解頂けただろう。

ならば、残る1つの属性。無敵が残った理由は何だろう?

 

まず、この属性が当てはまる存在を考える。考えるまでもなく、Poppin'Partyである。

 

"スターを纏えば無敵になれる"とは、小説版の内容からの引用であるが、戸山香澄は星を纏っていれば無敵なのである。

そして、戸山香澄が繋いだPoppin'PartyのメンバーはSTARなのである。Poppin'Partyとしている限り、戸山香澄は常に星を纏った無敵状態である。

 

ならばこそ、Poppin'Partyに付与されるべき属性は無敵としてもおかしくはないだろう。

 

では改めて、これを歌詞に残す理由は何だろう?

 

2つの属性が消えた理由は、湊友希那の作詞のルールである。ならば、残った理由も誰かの作詞のルールと考えられる。

 

"夢を撃ち抜く瞬間に"の作詞に携わったのは、戸山香澄と湊友希那である。ならば、残したルールは戸山香澄のものとなる。

 

戸山香澄の作詞のルール。これもイベントストーリー、"いつか届けアタシの詩"の中にて語られている。

 

日常の中に存在するキラキラドキドキを伝える。周りに伝わるように歌詞にする。

 

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そんなルールを適用しているのならば、自明の理であろうとも歌詞にする事に納得がいく。

これが無敵が残った理由と考えられる。

 


☆明日の歌

ここまで述べてきた3つの属性は、Yes!BanG_Dream!にあった属性である。

しかし"夢を撃ち抜く瞬間に"では、新たな属性である、"明日"が増えている。

 

歌詞に存在する以上、戸山香澄のルールによって作られた属性だと思われるが、ならばその対象は何なのか。

 

答えは"全て"でどうだろう?

 

"夢を撃ち抜く瞬間に"が披露された武道館のステージ。あのステージが3バンドに与えた意味。

 

 

DJチュチュを、真の意味で加えた完全なRAISE A SUILENの誕生の瞬間。

 

頂点を目指すRoseliaの、終わる事の無い道の途中。

 

未来へ物語を紡ぎ、新たな人物を乗せて進むPoppin'Partyの列車の通過駅。

 

 

これらに共通して言えるのは、"終わり"がない事である。

終わりがない。言い換えれば、明日へと進む事である。

"全て"に対して付与されるべき属性として、違和感はないだろう。

 


☆In the name of BanG_Dream!

「星の鼓動はみんなだった。」

そんな戸山香澄の言葉を鑑みると、ポピパのメンバーだけでなくRoselia、RASと披露した"夢を撃ち抜く瞬間に"は、無敵の歌だろう。

元来、無敵に到達してしまえば、そこで終わるのが定石である。

 

しかし、彼女達は止まらない。

 

CiRCLINGが如く絶えない彼女達の物語を、BanG Dream!を知る者として見守っていきたい。