Opera of the wastelandについて
「Opera of the wasteland」は、ガルパイベント「Neo Fantasy Online-旅立ち-」にて追加された楽曲だ。
このイベント自体は2018年1月22日の事。「軌跡」の発売を何とか早めたかったのだろうが、CD発売のスピードもかなり速く、2018年3月21日の事である。
それにも関わらず、この楽曲はRoseliaのライブで1度も披露されていない。
Roseliaの新曲演奏ペースはかなり速く、1度も披露されていないのは、「"UNIONS" Road」とこの曲のみである。
「"UNIONS" Road」は発売から1年も経っておらず、コロナ禍もあってライブの機会自体が少なかったのが理由だろう。
では、「Opera of the wasteland」が披露されなかったのは何故だろう。
中島由貴さんや志崎樺音さんが、いわゆる既存楽曲の習得に時間が必要だったというのもあるだろう。
しかし、僕はそこに3Dではなく2DRoseliaのストーリーを絡めた理由を提示したい。
キャラ曲
まず、これは常識に近いかもしれないが、各キャラクターには「キャラ曲」と呼ばれるものがある。
氷川紗夜で言うところの「Determination Symphony」。今井リサで言うところの「陽だまりロードナイト」や「約束」。
イベントストーリーにおいて、メインとなったキャラとその時のイベントの曲とのリンク性から生み出される、曲に対しての1つの解釈の仕方である。
このキャラ曲という見方で「Opera of the wasteland」を見てみよう。この時のイベントはRoseliaの箱イベだが、その中でもメインとなったのは白金燐子と宇田川あこである。
この2人に共通した要素。宇田川あこの方がそれは強いだろうが、「晦冥の導き手」が最も相応しいだろう。
「Opera of the wasteland」は、晦冥の導き手の曲なのである。
曲の持つ物語
さて、「Opera of the wasteland」。英語のタイトルや歌詞を詳しく分析するには、日本語に訳してみるのが必須である。
「荒れ地の歌劇」
これがこの曲のタイトルである。
「歌劇」と言えば、最近ブシローダーと呼ばれ始めた皆さんには馴染み深い単語ではないだろうか?
「少女☆歌劇レヴュースタァライト」をイメージしてもらえれば分かりやすいが、「一部、あるいは全てを歌でのみ表現した舞台」の事である。
そう。この曲はある物語を表現しているのだ。
「そんなん分かっとるわボケェ!……ほいで、それがどないしたんや?」
そう思う方も多いだろう。
もちろんその通りだ。そもそも僕が前提として語ったキャラ曲という概念は、曲が物語を秘めている必要があるのだから。
しかし、曲が物語を秘めているのが当然だと思った方は、「Opera of the wasteland」にどのような物語を思っただろうか?
きっと、Roseliaの5人が「Neo Fantasy Online」、通称"NFO"をプレイした物語。初めて訪れるゲームの世界を、湊友希那がその感覚を持って描写した曲。
このように思った事だろう。
僕もそうだった。
そう、"だった"のである。
「Opera of the wasteland」に、先に示したキャラ曲と晦冥の導き手という概念を合わせると、見える物語は変化してくる。
あこの語彙力
見えてくる物語のためにもう1つ必要な要素がある。それは、ガルパイベント「貫く闇、青薔薇の誇り」である。
ストーリーの概略は、宇田川あこが自身の思う「カッコイイ」、すなわちRoseliaの魅力を他人に紹介しようと奮闘するというものだ。
この時の宇田川あこは、傍に白金燐子がいないため、語彙力の低さゆえに上手く説明できていなかった。
青葉モカの助力を得て出来上がったものでも、世界観がかなり独特となっており、かなり読解の難しい内容となった。
このストーリーで僕が注目したいのは、「宇田川あこは1人でRoseliaの説明をする時、語彙力の無さと厨二病が作用して、まるでゲームや異世界の描写をしているようになる」という要素だ。
曲の再生産
結論を示す前に、少し話は脱線するが、僕の楽曲に対する見方を説明させて欲しい。
そもそもBanG Dream!というコンテンツの下に作られた曲は(もちろん他の様々な曲もそうかもしれないが)、キャラ曲という概念が示す通り、1つの物語や意味を持つ。
Roseliaの「BRAVE JEWEL」が、アニメ2期で揺らいだPoppin'Partyへのエールソングとなったように。
Poppin'Partyの「Step×Step!」が、アニメ3期で朝日六花の背中を押したように。
しかし、ここからが本質だが、それらの楽曲の意味は変化する余地がある。スタァライト風に言えば、再生産される可能性を秘めている。
僕が以前の記事に書いたように、「夢を撃ち抜く瞬間に」が、3バンドでの演奏でそれぞれに属性を与えたように。
「キラキラだとか夢だとか〜Sing Girls〜」が、アニメ1期のエンディングからアニメ2期で、朝日六花へ贈られたように。
その曲が演奏される状況。
その曲を演奏するメンバー。
そこに至るまでのストーリー。
それらを加味すると、全く違う意味や物語を持つようになる。
これが僕の、楽曲に対する見方である。
なぜ演奏されないのか?
さて、ここまで読めば鋭い人は、僕の言わんとしている事が分かっているかもしれない。
手っ取り早く結論を言おう。
「Opera of the wasteland」は、RoseliaがFWFに立った後に、バラバラになり、その姿が誰からも忘れ去られた時に、宇田川あこの手によって思い出させるための曲ではないだろうか。
そもそも宇田川あこに与えられた要素である「晦冥の導き手」は、バンドストーリー2章で、Roseliaを見失うメンバーの中で唯一、その本質を見失わなかったがゆえの要素なのだ。
「ノーブル・ローズ-歌、至りて-」にて、LOUDERを封印する際にも、必要になれば思い出させる役目を背負っていたのも宇田川あこだ。
つまり、「Opera of the wasteland」のゲームや異世界を感じさせる歌詞は、曲の再生産をふまえると、語彙力の足りない宇田川あこらしい歌詞になるのだ。
白金燐子との約束。その際にも「万一の時には蘇生魔法をかける」という、ゲームを意識した言葉が使われている。
そしてそこから読み取れるのは、あくまで白金燐子はヒーラー。前線で剣を振るうのは宇田川あこ、という役割だ。
もう1つ。NFO内での宇田川あこのジョブは、ネクロマンサー。死霊使いとはよく言ったもので、死霊を使うという事は、「失われた存在を呼び戻す」事に他ならない。
だからこそ、「Opera of the wasteland」はRoseliaが誰からも忘れられるような危機に陥った時にこそ演奏される曲ではないだろうか。
これが最初の疑問の僕なりの答えだ。
ゲーム風に言うならば、「とっておきの切り札」、「超必殺技級の隠し球」といった感じだろうか。